008 公という概念

昔から宗教や哲学が経済をどう捉えているのか、ということに興味があって本などみてましたが、あまり明確な答えを得たものに残念ながら出会わなかったんですよね(ズバリのタイトルはマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」なんて若い頃読んだ記憶が微かに…)。その後もビジネス書なんかはドラッカーなんかがもてはやされて、企業の社会性なんか再認識されるようになっているけど、どうもそれらの社会性は目的ではなくて戦略上の手段的なニュアンスで感じていて。そんな時、石田梅岩(1685-1744)の「都鄙問答」を読んでみたんです。いろいろ示唆に飛んだ文面がありましが、印象に残っているのは公に対しての考え。兎角企業は利益追求をしなければならず、近視眼的になります。それでも公に尽くすというある種の信念=道を持たないと事業はぶれ易く、信用を落とすことになる。子供の頃、余ったお菓子を自ら引いて他人にあげる行為は他から賞賛されたものだったんですけどね(「関東一つ残し」なんて言葉はその名残りですかね)。今では「こいつは食べないからいいんだよ」という輩が多いような気がします(まだ、自分で率先して「いただき!」という方が気持ちがいい)。「他を立てて、自分も立つ」という事は中々難しい問題ですね。

最近の政治家、資本家の母親は「世の中の役に立つんだよ」なんて言わなくなったのかな…社会は共生寄生の間柄で成り立っているように思うんですけど…