日本人の感性

「ジャポニズムJaponismeの再考 ―日本的自然観は新たなライフスタイルを生む―」

-日本を知らない?-

ここが本当は一番重要な話のような気がしてます。なんでいま日本なの?という点。これには少々思うところがあります。最近のヨーロッパ・・・と言ってもイタリアが主ですが、新しい発見がないなぁというところも出発点でした。ファッションはいまや殆ど日本に入ってきているし、今では量販店で扱うもののデザインも値段と比べてすごくよくなってきている。ブランドがお好きな方は別ですが、もの自体の価値で見ると大分良くなってきていると思います。日本人の飽くなき追求の姿勢は驚くばかりであります。あまり書くとやはり長くなるので簡潔にまとめてしまいます。
‐衣:ファッションは今やほとんど日本にある。もっと馴染む感覚のものはないかな(所有したり、見せるためだけよりなにか味わえるもの)?きもののコーディネートって洋服のそれとかなり違うな?

-現象としてのジャポニズム-

とにかく、1867年のパリでの万国博覧会でヨーロッパにおいて日本美術の最初の流行は確実なものとなったと言われています。それ以前からも出島を通してシーボルトらが持ち帰った日本の美術品はただならぬインパクトを与えていたのでしょう。「ジャポニズム!現代の魅惑。我々の芸術、モード、趣味、そして理性においてさえも、すべてを侵略し、すべてを支配し、すべてを混乱に陥れた無秩序な狂乱。」(アンドレ・デュブシェ「万国博覧会における現代陶芸」、1878年「芸術」より)、「日本は我々から機械技術や軍事術や科学を取り入れ、我々は日本から装飾美術を移入する」(エネルスト・シェノー「パリにおける日本-1」、1878年9月「ガゼット・デ・ボザール」より) とまで言われたほど「ジャポニズム」という一代ムーブメントをヨーロッパにもたらしています。

しかし、なにがこれほどまでのインパクトを彼らに与えたのでしょう?その当事の文献を見ると良くある表現の中で特に「自然に対する高い感性」「自由」「創意」という賛美の言葉が見られます。

例えばゴッホは;「非常に素朴で、彼ら自身が花であるかのように自然の中で生きているこれらの日本人が我々に教えてくれることは、殆ど真の宗教と言ってよいのではないだろうか。そして日本美術を研究すればひとりでに、もっとずっと陽気でずっと幸福になるように思える。僕たちは因習的な世界で教育を受け、仕事をしているけれど、自然に立ち戻る必要があるだろう。」(1960年「フィンセント・ファン・ゴッホ書簡全集」より) これは現代にも当てはまる気がします。

また、自由に関しては;「その特徴や時代性は、不規則性、無造作、噴出性、飛翔、孤立したり不完全であったりするモチーフ、断片による全体の喚起、一言で言うなら形式の決定的な放棄、幻想の回復、予期しないもの、そして自由・・・によって識別されるであろう。」(ロジェ・マルクス「極東及び日本の芸術の役割と影響について」、1891年「芸術の日本」より) これはかつて、芸術家・岡本太郎氏が縄文土器に出会ったときの言葉のようでもあります。

創意に関しては;「日本美術は、非常に個性的で非常に特徴的な独自の様式を持っている。ヨーロッパ美術の中でそれに似通ったものを探すならば、北方の巨匠たち、アルブレヒト・デューラーやレンブラントに陽気さをプラスしたものと比較することができるだろう。その上日本の芸術家は、その絶えず更新されるユーモア、尽きることない創意、自然の詩的で夢想的でありながらも正確な介入、滑稽味に関するセンス、哀れむべき我らが人類の精神的かつ肉体的な不具に関する残酷で洗練された感覚といったものに、我々がそれを前にして当惑するようなデッサンの技法と比類のない色彩の魅惑を適用しているのである。」(エルネスト・シュルノー「芸術におけるジャポニズム」、1873年「ミュゼ・ユニベルセル」) 日本人は真似が上手いだけではないんですね。

-日本と西洋の違い-

先人の芸術家たちは素晴らしいですね。これほど賞賛されていたのかと日本人としてなにか嬉しい気がします。また、当の本人は当たり前と思っていたのかも知れませんが、それを直感的・客観的に見抜くヨーロッパの人々の洞察力も素晴らしいものがあります。これらを推測していくと、そもそもの違いは西洋的人間中心主義の感覚と日本的八百万の神的自然との共存感によるものではないかと思います。これは対象に対する姿勢が科学的アプローチなのか感覚的アプローチなのかという違いとも言えるように思います。例えば;「日本人の芸術は感覚に訴えるのに対して、ヨーロッパの芸術は精神に訴えるのである・・・。」(リチャード・マザー1907年「近代絵画の歴史」改訂版より) 「我々の文明において芸術は、再現もしくは模倣によって、三次元における自然の錯覚を与えることに熱中している。反対に日本人は、模倣を退け、選別的なやり方で、つまり選別しなかった要素はすべて断固として排除して、自然を見せるのである。」(ジョージ・クローンズ「写実主義と印象主義について 1904年「ロンドン王立アカデミーの学生たちに対して行われた、絵画についての6回の講演」より」  これは芸術家・村上隆氏が言っている「スーパーフラット」の手法に通ずるものでしょう。

また、自然に対する見方も;「日本人の目は、清く澄んだ非常に透明な大気の中で、素晴らしい光に包まれて鍛えられ、特別の視力を与えられたので、満ち溢れる光の中でも激しい色調を見ることが出来るのである。それは同じような状況のもとでは、ヨーロッパ人の目が決して見ることが出来ないもので、自分自身のやり方に浸りきっているものだから、おそらく決して気づかないものである。自然を眺めるとき、ヨーロッパの風景画家たちは、物の固有色を忘れてしまうようで、殆ど光と影しか見ない。いや多くの場合影しか見ない。それで、大勢の画家たちが、田園風景の全体を不透明な暗さと永遠の闇に包み込んで描いてしまうということになる。日本人は決して、自然を喪服に包まれた、影の中のものとは見ない。それどころか、彩られ、明るさに満ちたものとしてみる。」(テオドール・デュレ「画家クロード・モネ」、1880年モネ展カタログより) 現代の人間中心主義になりすぎた日本人が忘れかけている視点かもしれませんね。

つまり、それほど「自然」というものが身近に生き生きと感じられていたことにもよるのでしょう。そして、自然に対して立ち向かって行かなかったから、科学的発達が起こらなかったのだと思います。森羅万象をそのまま「あるもの」として捉え、それを「相対的」に理解して、「絶対的」に解き明かそうとしてこなかった。それだけ自然に対し畏怖し、慈しんで共存しようとしていたからだと思います。食についても素材をいただく感覚の料理が日本には多いことも、自然の恵みの恩恵を受けていることを実感してきたからかもしれません。それは人との関係も同様であったのだと思います。浮世絵には世相を現した多くの人物が描かれています。 「確実なことは、自分たちの外面的もしくは私的生活の枠組みに対する日本人の愛情は、環境の尊重と周囲を切り離すことはできないと言う考え方を大いに助長せずにはいなかったということである。」(ロジェ・マルクス「極東及び日本の芸術の役割と影響について」、1891年「芸術の日本」より)  自然観や「江戸しぐさ」もこの意識から生まれたものだと思います。

また、個人の意識が自分という方向に向かっていかなかったから、哲学的思考のアプローチをしなかったのだと思います(それだけ人間重視の個人としての生き方をしていなかったのだと思います)。桜の花の儚さを愛でる心や仏教観の一部の諸行無常的意識も強かったのだと思うし。だからわりと固執せず鷹揚で、粋につながる諦観の感性を生んだのだと思います。結局日本には哲学はなく、思想はわりと仏教よりのもので、でもなにもないかというと「・・道」という中で生き方を伝えていくということになったような気がします。「武士道」「茶道」などと。それと家訓や地域コミュニティー内での常識、仕事を通しての職人の道や商人の道など。この辺の西洋的哲学思考と日本人の体系化されていない思考の比較は1995年に出された吉本隆明氏、梅原猛氏、中沢新一氏の対談「日本人は思想したか」に詳細に語られています。

-現代文明に必要なこと-

ところで、現代に目を向けるとどうでしょう。独特の自然観を持って過ごしてきた日本が突然「文明開化」という名の下に人間中心の文明社会になる。さぞ、戸惑ったことでしょうが、そこは意気地のある昔の人、「えいやぁ!」とばかりに実現したことでしょう。そして戦争などの負の経験もしましたが、今日の発展に至る。今や日本人も科学や哲学的思考といった分析・構築的考え方を十分に吸収し、昇華しています。しかし、その文明を支えてきたものは、18世紀後半の産業革命からいままで、石炭・石油などの天然資源エネルギー。それが、現在の地球温暖化などの環境問題を引き起こしています。経済的発展も大規模な森林伐採などを行う。便利さや時間の短縮と引き換えに環境を破壊する。終焉に向かう発展。なんとも刹那的です。いずれは枯渇してしまうエネルギーベースの社会は儚い文明です。人間の長い歴史の中でも同様に、人間中心意識で発展した太古の都市は砂漠化してしまった場所が多いと思います(気候変動もあったのでしょう)。家を建て、火を使うために木を切る。水も地下水をバンバンくみ上げる。だから砂漠化する=都市は消える。人が集まるところに最初から生活環境が悪いところは選ばないはずです。結局そこの人たちの人間中心主義による自然破壊が起こったことも影響しているのだと思います。

これからは自然にあるものを利用して、いかに害を及ぼさない、持続可能な、より良いエコロジーな文明を築くかが我々の役目なのだと思います。人間が主で自然が従という関係は終わりました。人間は自然の恩恵によって生きられるということを実感しています(近年のヨーロッパでの環境問題意識は非常に高いですね)。

文化が文明を生むものだと思います。自然と一体の感覚を持ち、自然を凝視してきた日本人の思想観や文化がこれからの生き方の良いモデルになるのではないかと思っています。文明は結局人間のための利便性や合理性の追求であります。また、その成果物は社会的インフラであり、皆が共有できるプラットホームであります。これは憧れの対象でなく、利用すればいいものであります。しかし、どの形態の文明を生み出し、選択するかは人々の営みからもたらされる文化(智恵と感性)によるものと思います。日本に「自然に対する高い感性」「自由」「創意」という気風が、いまだに存在するのであれば、新たな世界的プラットホームになる文明を築くことができると思います。それは西洋から取り入れた科学的アプローチと、日本人が持っていた自然観とを融合させることによって生み出される新たな文明。そのためには、そのような気風を育む社会や環境も必要です。経済的安定や平和も必要でしょう。私は文明(技術の発達や社会制度の整備などによるシステム的・経済的・物質的利器=社会的インフラ)はグローバリズム、文化(宗教・道徳・文学・芸術などの精神的な文化=歴史・風土の影響を受けるもの)はローカリズム、そしてそれを総合したものがその国の理に適ったライフスタイル(生活様式)と考えています。文化の中でも特に衣食住に関することは精神的・風土的影響の現われが強いものだと思います。そんな中で特異なものは男のスーツ姿やジーンズ、言語としての英語。これらは一つのグローバルな文化的社会インフラでしょうね。

「我々の創造力は自由に飛び回ることが許されているのに、その範囲は様式と呼ばれる厳しい決まりによって制限されており、このような制限のもとでは、我国の工芸美術は堅苦しい外枠に捉えられ、大胆な個人的発案などは消されてしまう。ところが日本は、我々に造形について教え、自由で広大な見通しを垣間見せてくれる。だが、この国の芸術家たちは、すべての束縛から自由なわけでもなければ、自分たちの想像力を勝手気儘に遊ばしているわけでもない。それどころか、彼らは常に一つの指針に従っている。それは「自然」である。」(S.ビング「序文」、1888年「芸術の日本」より)

-自然美-

昨今の漫画やアニメの海外での人気は「現代のジャポニズム」と言われているようですが、「自由」「創意」という観点と技法は受け継がれていたとしても、「自然に対する感性」は含まれていないように思います。ここで当時ヨーロッパに与えたオリジナルな「ジャポニズム」を再考してみることも良い機会だと思いました。技術的側面や構図の取り方などに注目されていますが、それは描く対象の表現のために用いられたひとつの智恵。そこには対象を選ぶという感性が先ずあります。そして、どうしてその対象を選んだのかという美観があります。いまだに300年ほど前の北斎や歌麿や若冲が話題になるのは、それら総合されたものが美として私たちに訴えかけるからだと思います。

自然からの美を意識した新たなライフスタイル。自然美の表現があることが格好良さのアイコンになりえるようなファッション感。機能重視でありながら、奇物陳思的なさりげない有機的自然美の装飾。自然(Nature)から来るもの、また自然(Naturally)の中にあるものという感覚。

静に見る動。自然からくるアシンメトリーの美観の中に有機的ダイナミズムがあります。また、人は自然の中に自由を見出し、心を解き放つことが出来るように思います。友人の子供は晴れの日に風にそよぐ草原のざわめきを見て、「草が笑っている!」と言ったそうです。こういう無邪気な清い感性が自然美の感性を育むのでしょうね。

-四季がもたらすもの-

デジタル的合理性追求の経済活動とアナログ的な人の営み。しかし、いまデジタル的志向が少々勝っているようで、アナログにある「間」というものが希薄になっているような気がしています。少しでも身に着けるものや環境の中にアナログ感や自然を感じられる有機的感覚を常にもって、上手くバランスできたらと思います。花鳥風月を愛でる心は、四季のある国に生まれた日本人にこそ強く意識されるものであると思います。四季によって移ろう自然は温度、色、旬なものなどその時々にあらゆる変化を生み、繊細さを人々に与えます(特に女性のきものには「四季を着る」という感覚があったと思います)。その機微を感じることができる繊細な感覚を美意識にも産業・社会にも生かして、世界から賞賛される新たなライフスタイルを生み出すことができるのは日本であると思います。

「そのころ(1867-1873)からもう、日本の芸術は見る者の目を幻惑したので、我が国の芸術は混乱に陥ってしまった。それらを手本として、自然の風物に再び目を向け、植物や果物や花などから以前より自由に着想を得、虫の重さでたわんだ草や、まわりに蝶が飛びまわる花や、春の再来を迎えて歌う鳥が隠れた花咲く林檎の木の枝などを、以前より近くから眺めるようになった。」(アンリ・ヴェヴェール「現代日本美術に於ける日本美術の影響」 1911年「パリ日仏協会年報」より)

-永遠のクラシック-

「MAJIMA」ブランドについても少し触れます。特にデザインについてですが、日本のデザインは;「とりわけ、我々が日本美術を愛好したのは、それが極めて感受性の強い民族の表現であって、「子供のような芸術家」である民族のどんな知覚にも感応しているからであり、またそこにおいてすべてが直感であり、自然であり、誤りを犯すことのない機敏さであり、生まれながらの素晴らしさであるからであり、またその素晴らしさは、その本質自体によって、何世紀も経つうちに古くなり洗練された社会の優雅さや抽象性を、印象の新鮮さやプリミティフたちの心に染み入る素朴さに結び付けているからである。」(ロジェ・マルクス「極東及び日本の芸術の役割と影響について」、1891年「芸術の日本」より) 自然をモチーフに観念的にデザインした光琳菊や波の形状などのアシンメトリーな模様の印象と、西洋的な観念的シンメトリーなデザインに自然を押し込めていくような感覚。これは大きく違うものでしょう。 「本質的なものに凝縮され捧げられた芸術は、西洋美術ほど冗長でも自意識過剰でもなく、それとは根本的に異なっている。」(ジョージ・クローンズ「写実主義と印象主義について 1904年「ロンドン王立アカデミーの学生たちに対して行われた、絵画についての6回の講演」より」 日本の芸術表現に見るこのような感性は大切なことと思っています。また、ブランドロゴや製品の中で取り上げた「よろけ縞」のデザインの中には;「彼らは我々に本質的なものにとどめられた簡潔な素描に対する嗜好を与え、単純な輪郭線に尽きることのない豊かさを発見させてくれた。」(リチャード・マザー1907年「近代絵画の歴史」改訂版より) という思いも込めています。時代が経ても常に新鮮さを与えるものは永遠のクラシックなのだと思います。日本が持つ永遠のクラシックをいろいろな面で発見して、そのものやその裏側にある考えを感じたり、海外のものと比較したりして楽しむことは有益なことだと思います。

なにか日本的なものについて想起させるもの。身近にそのようなものがあると、ふっとしたときになにか思う(日本人のアイデンティティや自然に寄せる思い、馴染み感など)きっかけになればということも「MAJIMA」ブランドの思いです。

-おしまいに寄せて-

私は東京の下町で生まれました。子供のころ、火事になったら消防車も入れない狭い路地に植木鉢が並べられた町並みを見て、「植木屋さんがたくさんあるな」と不思議に思ったことがあります。ヨーロッパやニューヨークの町でもこれほど多くの植物が路にまで並べられた光景は見たことがありません。ヨーロッパではそもそも園芸のような趣味も演劇や美術と同様、当時の権力者が保護するもので、江戸期の文化のように庶民文化の中で培われたことは稀です。1860年に江戸を訪れたイギリスの植物学者ロバート・フォーチュンは記録の中に;「もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人々は、イギリスの同じ階級の人たちに比べると、ずっと優れて見える」と記しています。人が密集する場所でも自然は掛け替えのない存在であったのだと思います。愛でる気持ちと手元に置いておきたい欲求。そして、行きかう街の安らぎのクッションとしても。また、宇宙ステーションの中では、植物を乗組員が集まるところに置くと聞きました。人間同士長い時間を共有していると険悪なムードになることもしばしば起こるようで、そのときこのような自然の生き物が置いてあるとその成長を愛でるなどして会話が弾むようです。このようなことはなにか人間の中に自然と備わっている「有機的感覚」に対するシンパシーに起因するものではないかと思います。

人間中心主義の観念的シンメトリーデザインから生まれたものや合理性重視の社会の中ではどこか心を解き放つことができず、ゆるみや和みを感じることはできません。有機的感覚のものが身近にあると、どこかゆとりや楽しみが増すように思われるのです。そんな感覚の美的表現を「ジャポニズム」に感じます。せめて、その僅かなエッセンスでも日常で感じられたら・・・。そんなことも思う今日この頃です。

間嶋雅義 東京 四谷にて