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喜多川歌麿 春画「歌枕」より抜粋
“Original print © Victoria & Albert Museum. The image is modified by Majima”

「10年以上前に、どこかは忘れたけど(確かイタリア?)で日本の浮世絵展をやっていた。当時はあまり日本って国を意識してなくて、海外で江戸時代の浮世絵の評価が高いんだな~って思った程度だった。高田賢三さんが北斎の浮世絵をモチーフにしたものを製作したりしてた時も、あまり感じることはなかった。イタリアの友人が来たときなどは頻繁に日本のものをお土産にあげていて、その中に浮世絵があったことを覚えている。後期印象派がかなり浮世絵の影響を受けていることは知っていたから「オリジナルはこれだ!」とばかりに。多分、海外との関係が多い人ほど日本のものへの関心って強いんじゃないかな?やはりアイデンティティって重要なことなんでしょうね。「俺の国にはこんなものがあるぞ!」っていう変な張り合いも。

あるとき昔買った”Ukiyo-e”なる洋書をふっと開いたときにこの絵を再発見した。女性が後ろ向きの構図が印象的で、男の目が生きていてなんとも濃密な光景でありながらも純粋な感じがあって、女の大胆さも印象的だった。扇子に書かれた宿屋飯盛の狂歌に引っ掛けているところもなんとも遊びがあっていい。洋画にない感情の機微の表現がこういうところにあるんだなと改めて感心した。

食もそうだけど繊細な感覚は歴史や文化、それとある程度の精神的・経済的豊かさに醸成されないと良いものは生まれてこないものだと思う。日本には脈々と続いた日本の美観があって結局そこに日本人のアイデンティティがあるのだと思う。文明は合理的に進んでいくけど、文化は人の営みだからデジタルのようにはゆかない。そこに住んでいる人たちの考えや風土にも大きく影響されるものでもあるし。

最も文化的に熟成されたと言われる江戸時代の化政期直前のこの絵は今の時代に忘れた何かを伝えているような気がする。それはきっと隠す美とか桜を愛でる心に近い、日本人が独自に持っている感覚。西洋のバラでもなく、中国の牡丹でもなく、桜の花のような咲き乱れた華やかさと散る儚さを愛でる感覚。地味だけど派手で、繊細だけど大胆でという極の間にある微妙な狭間の線。その揺らいでいることすらも楽しむ感性。そんな感覚は永遠に持っていたいと思うんですよね」

喜多川歌麿 春画「歌枕」